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2008年秋韓国2日目 板門店とDMZと… その2

  • 2008/11/06(木) 21:14:32

キャンプボニパスCamp Bonifasで二度目のパスポート・チェックを受けた後は、いよいよ板門店の中へ。まずブリーフィング(Briefing)センターで、「韓国戦争」と板門店の歴史について、レクチャー・ビデオ(日本語)を見ます。その後、「訪問者(見学者)宣言書」が配布され、署名を求められました。そこには、見学する上での諸注意が記されているのですが、その冒頭は…

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…敵の行動(活動)によっては危害を受ける又は死亡する可能性があります。…また、事変、事件を予期することはできませんので、国連軍、アメリカ合衆国及び大韓民国は訪問者の安全を保障することはできませんし、敵の行う行動に対し、責任を負うことはできません。…

ひょぇぇ~これって、「何がおきても、国連軍は責任取りませんよ~」ということ。見学する場所がどのようなところか、改めて実感しました。

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ブリーフィング・センターを出たところで、国連軍のゲスト・バッジが配られ、胸などの外側から目立つところに付けるように指示されます。そして、ソウルから乗車したツアーバスから、国連軍のバスに乗り換えました。ここから、韓国軍兵士のさんが乗車。背が高く、まだあどけなさが残る若い兵隊さんでした。ガイドさんの説明によれば、板門店周辺の兵隊さんは、韓国軍の中でも厳しい選抜を経て配属されるそうです。

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自由の家(Freedom House)の前で国連軍のバスから降りていよいよJSAへ。「自由の家」の南西には「平和の家」があり、民間部門の会談に使われているそうです。2グループに分かれて、自由の家の内部を抜け、韓国・北朝鮮両国軍が警備する、会談場(青い建物)の前で説明を受けました。

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コンクリートで作られた境界線と会談場をはさんで、数十メートルの距離で両国の軍人が警備しています。韓国側の軍人は足を少し開いて、体の半分を建物の陰に隠しています。また、北朝鮮の兵士と視線を合わせないために、黒いサングラス着用が原則だそうです。

私は、仕事柄?メモを取るのが癖になっていて、この時も、説明の内容を書き留めようと、胸ポケットから手帳とペンを取りだそうとしたのですが、その瞬間、韓国軍兵士から「メモを取らないで下さい!(韓国語)」と、大声で注意されました~(泣)

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中央が担当の高()さん

会談場前での説明を終えると、자유의집(自由の家)という扁額の架かった小さな望楼に上がりました。この望楼は、北朝鮮側の警備兵の視線から遮られた位置にあります。ここからの写真撮影はOK。

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北朝鮮側の板門閣にも私たちと同じように見学者(中国人観光客が多いようです)がいるのが見えます。韓国・北朝鮮の両国軍が警備しているこの場所を、双方の側の外国人が見学している、本当に不思議な光景です。

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会談場を南側から開けようとしている韓国軍兵士

会談場は北・南、双方から見学者が入ることができるのですが、北側の見学者がいる時には、当然南側の見学者が入ることはできません。私たちが到着した時は、ちょうど、北側のが見学中で、ガイドの方も「残念ですが…」と半ば諦めていたのですが、望楼の見学が終わって自由の家を出る直前に、「会談場が空きました」との連絡。JSAの見学は厳しく時間が管理されているので、短時間でしたが、会談場内部も見学することができました。

会談場は南北の境界線の中央に建設された小さな青い建物。会談場の部屋の中に限って境界線を越えることができます。テーブルのマイク線の位置が境界をあらわしています。部屋の中では容易に越えることができる南北の分界線。屋外で越えると大変なことに…。1984年には北朝鮮側からソ連の大学生が亡命を求めて分界線を越えて南側に駆け込んだため、銃撃戦となり、死者4名、負傷者6名を出す事件が起きたそうです。

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国旗掲揚台の下が北朝鮮の村 キジョンドン

「自由の家」を出て、再び国連軍のバスに乗り、小さな展望所のようなところへ。ここは北朝鮮側のキジョンドン村が良く見えます。軍事分界線は豊かな森の中。ガイドの人の話では、DMZは長年立ち入りが制限されているため、手つかずの自然が非常に良く残されていて、世界の科学者から注目されているそうです。

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軍事分界線を示す標識
南側はハングルと英語、北側はハングルと中国語
で書いてあるそうです
もう、サビサビでした…

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しかし、一方で112万個の地雷が埋められていて、現在まで2000名が地雷の被害に遭っており、地雷の除去には10億ドルの経費が必要。将来世代にまで悲劇や困難を引き継ぐ結果を引き起こす。戦争の恐ろしさを改めて感じました。

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「帰らざる橋」
橋の向かって左手にも軍事分界線の標識があります

続いてバスは軍事分界線を貫き、南北の捕虜交換がおこなわれた「帰らざる橋」へ。橋の手前には、1976年8月、ポプラの木の剪定作業をめぐって国連軍兵士と北朝鮮軍兵士が衝突し、国連軍のボニパス大尉とバレット中尉が死亡、8人が負傷した「ポプラの木事件」の現場があります。

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「ポプラの木事件」の現場に設置されているプレート

この事件までは板門店の中では南北の兵士が行き来していたそうですが、これ以降、特別の許可を得た場合以外、双方の兵士はコンクリートの分界線を越えることができなくなりました。

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最後は、なぜか、国連軍が経営する記念品店へ。これが、かなり「ベタ」なお土産をたくさん置いているお店。Tシャツや記念メダルはもちろん、DMZに張り巡らされている「鉄条網」とか、韓国軍兵士が着用している「黒いサングラス」とか…。北朝鮮の切手まで…。
私はJSAレターセットを購入…。思わず、引いてしまうような、爽やかすぎる軍人さんの笑顔…。

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手前のコンクリートのブロックが
南北を分ける「越えられない線」です

ベルリンの壁のように高い壁ではないけれど、境界標やコンクリートブロックによって分断された朝鮮半島の現実。平和な日本から旅行者として来るだけでは、ほんの少ししかわからないけれど、生まれ育った故郷が行くことのできない土地にあったり、兄弟や親戚がバラバラになってしまったり…。

条件の許す方はぜひ板門店に行かれることをお薦めします。戦争によって引かれた越えられない境界をはさんで、向かい合っている人間と人間。ほんの一歩踏み出せば、簡単に越えられそうな線なのに、それは絶対にできないんです。鳥や動物たちは自由に境界を越えていくのに、人間だけが越えられないんです。どんなに異常な世界かを実感できると思います。

この土地の境界が取り払われ、武器を持った人たちが去り、地雷が撤去され、人々が自由に行き来できるようになるためには、何が必要なのだろう、何ができるのだろう、と考えさせられました。

まだ続く…

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ゲヒは、50年たっても
いまだにドンウやソッキョンと逢うことはできないのです~


※この記事で使用した板門店の写真は
全て国連軍の許可した区域で撮影したものです

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この記事に対するコメント

こんばんは

お~~~、JSA
ビョンホンペンだったあのころを思い出します

ウリアドル、「アンデェ~~」と言われたら、余計にしたくなる好奇心の塊なので、まだまだカルスオプスmニダ

今日は、千里セルシーにSGの握手会へ行ってきました
8日はコンサート(昼・夜)に行ってきます

  • 投稿者: M
  • 2008/11/06(木) 23:04:15
  • [編集]

ビョンホン&SG

Mさん
アンニョ~ン
M家のアガシももう少し大きくなったら、連れていってあげてください~。
南側からも北側からも外国人の観光客が来ていて、一見平和な光景ですが、何かが起これば、すぐに状況が一変しそうな緊張感のあるところでした。
おぉ、ビョンホンペンだったんですか~?
私はどうしても舘ひろしの若い頃に見えてしまいます。
ビョンホン氏、西部警察に出てほしかった…。
おぉ~千里セルシーで握手会!すごい人だったんじゃありませんか~。
コンサートは昼夜どちらもですか。
SG一色の週末ですね~

  • 投稿者: torako
  • 2008/11/07(金) 01:04:45
  • [編集]

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