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平戸の教会 祈りの空間

  • 2008/08/25(月) 00:00:00

仕事で長崎に行く機会があったので、一日早く出発して、前々から訪ねてみたいと思っていた平戸に行ってきました。目的は古い教会。建物の美しさはもちろん、「祈りの空間」を体験したいと思ったからです。
長崎空港から佐世保へ。佐世保でレンタカーを借りて、平戸に向かいました。いつもよく失敗する大阪との距離感の違い。長崎~佐世保が約90分。佐世保~平戸が約60分。昼過ぎくらいには平戸に到着できるかと思っていたら、大まちがい。やっとたどり着いたのは2時30分頃。まずは平戸城主松浦(まつら)家の私邸を博物館にした松浦歴史博物館を訪ねて、平戸の歴史を通観。

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「閑雲亭」という茶室でお抹茶とお菓子をいただきながら、一休み。お茶の接待をしてくれた女性は「平戸は遠いでしょ~長崎と比べて寂れているでしょう。」と謙遜してらっしゃいました。観光でバリバリやっている長崎と比べて、確かに、人通りは少なかったけれど、港町なのに、落ち着いた雰囲気を備えているのは、やはり城下町の伝統でしょうか。

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カトリック平戸教会(聖フランシスコ・ザビエル記念教会)
1931年

松浦歴史博物館から細い山沿いの道を進むと、カトリック平戸教会の尖塔が見えてきます。通称「聖フランシスコ・ザビエル記念教会」。1931(昭和6年)に建設され、1550年に平戸を訪れ布教を始めたイエズス会の宣教師聖フランシスコ・ザビエルを顕彰しています。周囲は古い城下町の石段や寺院に囲まれていて、日本的な宗教世界とキリスト教的世界が共存する不思議な空間を作り出しています。

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カトリック平戸教会(内部)

これから整備が予定されているというオランダ商館跡や、フランシスコ・ザビエル記念碑のある崎方公園、平戸城などを巡るとすでに夕暮れ。再び朱塗りの平戸大橋を渡って田平地区へ。田平天主堂の夜の御ミサに参列しました。

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重要文化財 田平天主堂
1918年

事前に司祭様に連絡をして「信者ではないのですが…」とお願いをして、参列を許していただいていました。平戸地区には、昼間訪れたカトリック平戸教会など、数多くの明治~戦前に建てられた教会があります。

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田平天主堂はこの地区に移住したカトリックの信徒のみなさんが苦労してお年寄りから子供まで煉瓦を運び、大正7年(1918)年に竣工した教会です。建設に携わったのは鉄川与助という平戸で多くの教会建築を手がけた棟梁。国の重要文化財に指定され、長崎県などが提案している世界遺産「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」にも登録されています。丘の上に建てられた古い教会。訪れた時は、ちょうど平戸瀬戸沈む夕日が教会の赤煉瓦を美しく照らしていました。

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御ミサは午後7時から、30分くらい前から次々と近隣の信徒の方が集まってきます。女性は皆頭にベールを被り、近所の人と連れだったり、家族で来られる方が多いようです。ミサが始まる頃にはかなり広い教会堂はほぼいっぱいになりました。
制服姿でベールをかぶりオルガンを弾く中学生。司祭さまの祈りの言葉に呼応して祈りを捧げる老婦人。教会堂の美しい天井に響き渡る讃美歌

そして
アレルヤ唱(Alleluia)…

あなたは巌(ペトロ) この岩の上に私の教会を建てよう
地獄の門もこれに勝つことはできない
tu es Petrus et super hanc petram aedificabo ecclesiam meam
et portae inferi non praevalebunt adversum eam
マタイによる福音書 16章18節

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長崎県指定文化財 宝亀教会
1899年

司祭さまのお話は、1629年、禁教時代に起こった米沢の53人の信徒の殉教の物語でした。お話を静かに聞き、また祈る…。1時間の御ミサはあっという間に終わりました。この地域は禁教令(1614年)以降も信仰を守ってきた人の多い地域だと聞いています。

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紐差教会
1929年

1873年に禁教令が解かれ、カトリックに「復活」した人たち、カクレキリシタンとして、それまでの伝統を守っている人たち…信仰の歴史はさまざまだと思いますが、地域に信仰が根付いて、都会では薄れている近所の人たちや、世代の違う人たちとの連帯や交流が信仰を通じて実践されているような気がしました。

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生月島 山田教会
1912年

仮に殺伐とした環境に置かれていても、一週間に一度、こうして静かに祈りを捧げることができたなら、明日の生活に希望を見いだすことができるのでしょうか。

幕末に生まれ、開拓のために北海道に渡った私の曾祖父は、キリスト教に入信し、伝道師となり、イギリス人宣教師がアイヌ人のために建てた学校の教師をしていました。顔も見たことのない曾祖父。我が家はすでにキリスト教徒ではありませんが、平戸の古い教会で、厳しい環境に置かれた人たちの苦労と、彼らが集う「祈りの空間」の持つ意味を考えました。

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※宝亀教会・紐差教会・山田教会は翌日行ってきました
(あ~駆け足)
長崎 眼鏡橋のたもとの
カフェ
わらびもち&ジャスミンティーが
美味しかったわ…

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竜の目は、お棺の装飾

torakoさん、こんにちは!
ン十年前は・・眼鏡橋のたもとにカフェなんてなかったような・・。月日が変えるものと変わらないものと。。

これを見る頃には、もう帰り着いてタシボギを見ているかしら?
ジョンウンは26分に荷物を抱えて、ヨンスとソラがハラボジの部屋に消えた後に登場。ナント声だけのシーンが・・。姿も消えてしまった。。40分に、妹夫婦と祖母チェサの準備。梨を拭いている。一応中央だけど奥だ~。一同揃ってごあいさつ、孫が3人ともばたばたと結婚したんだもんね。
子供組と大人組にわかれて部屋でくつろいだり、テーブルもふたつ。背景です。予告、ZENSAIはハワイサンウと結婚?!
妹夫のお姫様だっこは、堂々としていたわ。。

チフニが食べている動画がありました。今ちゃんと食べれているだろうか・・。
http://tvzonebbs6.media.daum.net/griffin/do/talk/gallery/jjhoon/read?bbsId=S000032&articleId=41125&pageIndex=1&searchKey=&searchValue=
イ・オン氏の笑顔に残念な思いがします。

  • 投稿者: cha
  • 2008/08/25(月) 13:54:12
  • [編集]

アン講座 今週からまたレウォン君

chaさん
こんにちは~
『オンマ』速報、ありがとうございました。
夕べ帰ってきて、半分眠りながら視聴~
背景でピントも合っていない時間も出演時間に含めるべきかどうか…。
梨を拭く姿は麗しかったですけれど。
予告のZENSAIキョロン、やはりサンウ氏似のナムジャか…?
なぜ、ジョンウォンは涙目なのか…????
別のドラマで「ハッカ飴」は気持ちを落ち着けるのに効果があるというシーンがありました。
無印のハッカ飴~チフニに贈ってあげたいです。

  • 投稿者: torako
  • 2008/08/26(火) 12:33:14
  • [編集]

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