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関釜フェリー 『京城スキャンダル』への旅 その1

  • 2008/02/27(水) 00:00:00

山口県で仕事をする機会があったので、下関まで足をのばして『京城スキャンダル』時代に日本と朝鮮の行き来に使われていた関釜航路を辿って釜山に行ってみることにしました。

関釜航路の歴史は、以前「『京城スキャンダル』への旅~関釜航路と京義線」で書きましたので、詳しくはそちらを読んで下さい。

kanpu_1.jpg

出港は2月16日(土)午後7時、少し余裕を持って午後4時30分頃に下関国際フェリーターミナルに到着しました。
今夜乗船する「はまゆう」は港に入っていましたが、ターミナルはひっそり…。

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大阪の旅行社で予約していたので、チケット売り場で乗船券に引き替えます。同じフロアーの事務室で荷物を預かってもらい、下関港の周辺を少しウロウロしてみました。

kanpu_2.jpg

フェリーターミナルのすぐ近くに海峡ゆめ公園という大きな公園がありました。公園の一角には、かつての関釜航路をしのばせる記念碑が建っています。「下関鉄道さん橋跡」と書かれた記念碑と船を繋留する繋船柱が二つ残されています。
記念碑のプレートには次のような説明がされていました…。

下関鉄道さん橋は、明治34年5月の関門航路、同38年9月の関釜航路開設に伴って、大正3年7月に本格的な岸壁を築造、その歴史的第一歩を印した。
その後関釜航路は隆盛の一途をだどり、昭和11年には、当時、わが国の優秀船として海運界に注目された七千トン級の金剛丸型が就航した。さらに、昭和17年には八千トン級の天山丸型が就航し、これらの出入り船が長さ562メートルの大岸壁を圧し、多くの人々に愛され、親しまれた。
しかし。これら国鉄が誇った海の女王たちも、第二次世界大戦でほとんどが沈没、座礁するなどの大打撃を受け、昭和20年8月、終戦とともに関釜航路は営業を中止した。
一方関門航路は本土と九州間連絡の幹線として、また関門市民の足として親しまれ利用されたが、関門トンネルの開通などにより、昭和39年10月、その使命を終わった。
今回、下関港が新しい使命を帯びて生まれ変わるにあたり、半世紀にわたる輝かしい業績を残したここ下関鉄道さん橋跡に碑を建立し、当時の、けい船柱を保存して、かつての栄光の歴史を永久にしのびたい。
昭和44年9月11日
日本国有鉄道 中国支社長 長谷川 亘
昭和44年10月14日 準鉄道記念物指定


そして、説明文の横には、関釜航路と関門航路を就航した歴代の船の名前と就航年月が記されています。
ソプラノ歌手、尹心悳と妻子ある劇作家、金裕鎮が1926年8月に投身した徳寿丸も「大正十一年十一月 徳寿丸就航」として…
モダンボーイ、ソヌ・ワンが乗ったのでは?と勝手に妄想した興安丸は「昭和十二年一月 興安丸就航」としっかり刻んでありました。

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公園の向こうにはやたらと高いタワー状の建物が…。最上階が展望台になっているというので、「海峡ゆめタワー」に登ってみました。

眼下に見えるのは関門海峡。今夜乗る船「はまゆう」も見えています。

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「はまゆう」は関釜航路復活後三代目の日本側(関釜フェリー株式会社)の船で1998年に就航。韓国側(釜関フェリー株式会社)の「星希」と交代で毎日運行しています。「はまゆう」は下関市の市の花なんだそうですね。約1600トンで旅客定員は438人。『京城スキャンダル』の時代に就航していた船は6千トン、7千トンクラスですから、今よりも3~4倍の規模です。

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展望台から、少しレトロな建物が見えています。タワーを降りてから近くまで行ってみると、この建物が『京城スキャンダル』の時代にはホテルとして使われていたことがわかりました。
関釜航路を使って、日本と朝鮮半島を行き来する人のために建てられたホテル、旧山陽ホテルです。

kanpu_6.jpg

初代の山陽ホテルは明治35年(1902)に民間の山陽鉄道株式会社によって建てられましたが、鉄道国有化により、国鉄が買収、火災によって初代は焼失してしまいましたが、大正13年(1924)に現在の建物が当時日本で超一流の建築事務所だった辰野葛西事務所の設計で建築されています。辰野金吾といえば、東京駅の設計者として有名です。山陽ホテルの竣工時には辰野はすでに他界していますので、この建物は弟子の葛西万司の主導で設計されたのではないかと思われます。

今は使用されていないこの建物、細部をよく見ると、アーチ型の窓枠や、屋根の下の細かなタイル装飾、玄関の鉄柱の意匠など、当時の雰囲気が良く遺っています。
皇族や高級官僚、財閥など、朝鮮半島から大陸に渡る富裕層が宿泊したこのホテル、当時のモダンの粋が集められていたんでしょうね。「死の讃美」の二人も、ワンとミユキもここに泊まっていたかも知れません。(スヒョンは庶民なので、夜行の連絡船かな?)今は訪れる人もなく、建物も使われていないので、荒れた印象ですが、関釜航路の生き証人として是非活用していただきたいと思いました。

…次回(いつ?)は、「船に乗った!揺れた!着いた!」編です

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この記事に対するコメント

下関は電車で通りすぎただけ

torakoさん、こんにちは!
いや~、この船に乗って行ってきたんですねぇ。大きく見えるのに、揺れるんだぁ。海は広いな大きいな。
 山陽ホテル、使われてないのは残念ですね。記念館とか、でも維持費が大変かな?
学生時代は休みのたびに一人旅でしたが、今は家族で動くので、一人の時はないです。同窓会も毎年あるのだけど、なかなか一人で行く気になれない小心者。
torakoさんすごいわぁ。外国まで一人で行っちゃうんだもの。
次回「船に乗った!揺れた!着いた!」編お待ちしてます。
 乗ってた時のコメントのお返事、臨場感あふれてました。

  • 投稿者: cha
  • 2008/02/27(水) 17:06:58
  • [編集]

もしかして、韓国

chaさん、こんばんは~
「京ス」の頃よりも3分の1くらいの規模の船なので、やはり外海に出ると少し揺れました~。
同居人には行き先と理由をいちいち説明するのがメンドーなので「山口方面に出張で、5日間いないから」とだけ言って出かけました。2月は毎土日いなかったし、最近はどこでも携帯がつながるので、いいかな~っと。
日曜日釜山から家に電話をしたら、「もしかして、韓国に行ってない?」と聞かれました。
ハハハ…読まれてる…。
いつもカバンには、パスポート&ウォン札!
そうそう、申し遅れましたが、私も先週のリアル視聴の時に、KBSの怪しいメッセージが出ました。chaさんから聞いていたので、慌てませんでしたが、やはり怪しげな文字化けファイルがダウンロードされました???
今のところ支障なく見れてます~。

  • 投稿者: torako
  • 2008/02/28(木) 02:23:23
  • [編集]

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