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2・8独立宣言を知っていますか?

  • 2008/02/08(金) 00:00:00

スヒョンとワン、そしてソンジュとヨギョンの運命をも変えてしまった、10年前の事件。ソヌ・ワンの兄ミンの死は、東京留学中の出来事でした。スヒョンとミンの事件のあと、ワンも東京に留学したようですが、1年で帰国したというエピソードが語られていました。

1917年のロシア革命、1918年にはアメリカのウィルソン大統領が「民族自決の原則」を発表し、日本でも富山県の女性たちが米の高騰に抗議したことを発端とする「米騒動」が起こり、のちに「大正デモクラシー」とよばれた、民衆運動の高揚期…。

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当時の朝鮮人留学生たち、若い知識人たちは、朝鮮半島よりもまだしも思想的自由が可能だった東京で、さまざまな活動をおこないました。
彼らは、親睦会から発展し、次第に民族独立を議論するようになった「学友会」を組織し、機関紙『学之光』を発刊するなど次第に組織的活動を強めていきます。

そして、1919年―89年前の今日…東京は雪だったそうです。
午後2時、約600名の留学生が東京、朝鮮キリスト教青年会館に集合し、「学友会」総会を名目に集会を開会しました。この集会は緊急動議により途中で「独立宣言大会」に切り替えられ、朝鮮青年独立団11人の名で「独立宣言文」が読み上げられました。

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結語部分
決議文より―

一、韓日合併はわが民族の意思によるものなく、わが民族の生存と発展を脅かし、また東洋の平和を乱す原因となっている。それ故に本団は、わが民族の独立を主張する。(中略)
四、以上の諸項の要求が不幸にも失敗すれば、わが民族はただ日本にたいし永遠の血戦をなすのみである。これによって生じる惨禍についてわが民族はその責任を負わない。

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当時李光洙や白寛洙など、22歳から31歳の青年留学生たちがこの宣言の中心人物として署名しています。
朝日新聞の連載特集「歴史は生きている―東アジアの150年・辛亥革命と民衆運動 下」(2007.10.2)を読んで、昨秋の出張の際に水道橋にある2・8独立宣言の故地を訪れました。

在日本韓国YMCAの建物の前に「朝鮮独立宣言一九一九 二・八記念碑」と刻んだ石碑がありました。当時の会館は今の場所から少し離れた、現在の専修大学の裏手の位置になるそうです。
現在は石碑と、会館の9階に独立宣言文を刻んだプレートがあるだけですが、独立宣言を顕彰する記念室をつくる準備がすすめられているとか。オープンが楽しみですね。

kyonsu_dokuritu2_8_2.jpg

この2・8独立宣言は、同年3月1日朝鮮国内で大きな民衆運動のうねりとなった3・1独立運動に影響を与え、さらに北京ではじまった5・4運動に連なっていきます。

スヒョンやミンが東京に行ったのは、2・8独立宣言から8年後。運動の挫折と、当局の弾圧など、一層厳しい環境の中だったのではないでしょうか。
日本ではあまり知られていない、2・8独立宣言、東京留学生たちの生活の様子や、具体的な活動をもっと知ってみたいと思いました。

kyonsu_dokuritu2_8_5.jpg
少年スヒョンも良かったけれど
リュジン氏の大学生姿も見てみたかったですね~
これは普通の大学生ですけど…
クラシカルな大学生はさぞや素敵なことでしょう

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