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『京城スキャンダル』への旅~関釜航路と京義線

  • 2008/02/03(日) 00:00:00

水曜日の夜、いつものように同居人と『京城スキャンダル』衛劇版を見ていたら、第12話、ちょうどソヌ・ワンが上田ミユキ嬢と日本に行くシーンでした~。そういえば、第1話では夜の釜山駅にソヌ・ワンがいて、ヨギョンとワンの初めての出会いは京城駅のホーム…。そしてラストシーンも…。

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今は日本各地からソウルへ航空路線が充実しており、ビザも不要なので、自由に、かつ気軽に隣国に行くことができます。torako最寄りの関空からだとソウルまで時刻表で1時間50分。実際のフライト時間は1時間30分ちょっとなんじゃないかな~。torakoの実家、某北日本地域より近いんですよね。

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さて、1937年。日本から京城までは、もちろん鉄路と航路。下関と釜山を結ぶ関釜連絡船の就航は1905年。発足当時は民間の山陽汽船が経営していましたが、就航の翌年国有化され、1945年まで日本と朝鮮半島を結ぶ幹線として、多くの人や物資を運びました。

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 「興安丸」1937年~
写真は戦後、引き揚げ船時代でしょうか

以前紹介した「死の讃美」も関釜連絡船「徳寿丸」を舞台にしています。
当時、関釜航路は、下関~釜山240㎞を7時間30分で結んでいました。「京ス」の時代、1937年1月には昭和を代表する名船「興安丸」が就航し、関釜航路の利用者も100万人を超えたそうです。ソヌ・ワンもピカピカの新建造船「興安丸」に乗ったのでしょうか。この興安丸、戦後は日本人の引き揚げと、在日韓国・朝鮮人の帰国に使われ、民間に売却された後は東京湾遊覧船としても活用されていました。保存を求める声がありましたが、1970年に惜しまれながら解体されたそうです。

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連絡船が釜山に着くと、下船してすぐのところに「釜山桟橋駅」(1913年~)があり、すぐに京城行きの列車に乗り継ぐことができました。「興安丸」「金剛丸」など関釜航路の旅客大型船の就航にあわせて、1936年には朝鮮半島初の特別急行列車「あかつき」が運行され、釜山~京城間を6時間45分で結びました。

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「興安丸」と特急「あかつき」。モダンボーイ、ソヌ・ワンに相応しい「豪華」な組み合わせです。しかし、「華やか」に見えるなかにも、植民地支配と戦争は影を落とし、「興安丸」や京義線が、その後辿った道も歴史の重さに他なりません。

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1945年に対馬海峡が封鎖され、事実上運行不能になり、1970年に関釜フェリーとして再開されるまで、25年の歳月を要しました。さまざまな歴史を沈めた対馬海峡と関釜航路を辿ってみたいと思い、2月16日午後7時下関発の関釜フェリーを予約しました。

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釜山着は午前8時30分。所要時間は昔より長いようですが、出入港の時間調整でしょうか。初めてで大部屋は不安なのと、船内で少し仕事をしたかったので、1等のツインルームのシングルユースで13,500円でした。何せ厳冬期…船酔いも心配ですが、「京ス」の旅路をちょっとだけ辿ってきます。

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