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諧和堂 ヘファダン と V narod運動 その1

  • 2007/12/19(水) 00:00:00

ずっと気になっていた、ヘファダンの壁の真ん中に堂々と掲示されているハングルで書かれたスローガンらしきもの…
先日ポクギさんからコメントをいただき、「謎」が解けました!(ありがとうございました!)

kyonsu_vnarod_1.jpg

そこに書かれているハングルは…

배 우 자!
 가르키자!
다 함께
브나로드!!

kyonsu_vnarod_2.jpg

韓国語初心者のtorakoですが、最初の三行は

学ぼう!
教えよう!
皆いっしょに


…という意味だろうということは、辞書を引いてわかりました

しかし、最後の一行브나로드!!」がどうしてもわからない?辞書にも載ってないし???…のままで、スルーしていました。ハングルをそのままgoogleに入れたら良かったのに、それもせずに、na-mimさまが良く言ってらっしゃるように、わからない時は「外来語を疑え」の原則も守らずに、放置していたのですが…

kyonsu_vnarod_4.jpg

そうか!ブナロド=ヴ・ナロード=V narodだったのね…!

kyonsu_vnarod_7.jpg

V narodは「民衆の中へ」という意味のロシア語が語源です。1874年、多くのロシアの学生・知識人たちが、革命運動の宣伝と啓蒙のために、一斉に農村に入った運動がそのはじまり…。その後、啓蒙運動の別称として使われるようになった言葉です。

kyonsu_vnarod_5.jpg

朝鮮半島では、1920年代の非識字率が8割という実態の中、特に1919年の「3・1独立運動」以降、それまでほとんど教育の機会を与えられてこなかった、農民・労働者・女性などに対する民衆教育に関する取り組みや運動が広がりました。

kyonsu_vnarod_8.jpg

総督府は、1922年「第2次教育令」を公布し、公立の教育施設の水準を整備しようとしますが、当時大多数を占めていた農民や貧困層にとっては、経済的にも、物理的にもこれらの教育施設で学ぶことは難しかったようです。このため、私設の「講習所」や、ヨギョンの諧和堂のような「夜学」(子どもであっても日中労働に従事することがほとんどだった)が、朝鮮半島全土に広がりました。

kyonsu_vnarod_9.jpg

やがて「夜学」は民族主義の温床とみられ、総督府から弾圧をうけるようになりますが、一方で、マスコミ・言論界を中心としたハングル普及を通じた識字運動が巻き起こります。朝鮮日報社は1929年から農村への帰郷学生を中心とする「文字普及運動」を、東亜日報社は1931年から識字とともに、生活改善と文化生活の啓蒙をおこなう「ヴ・ナロード運動」を主催しました。

しかし、これらの運動が広がりを見せるようになると、総督府の弾圧が厳しくなり、1934年夏には全ての運動が禁止されてしまいます。

kyonsu_vnarod_6.jpg
帽子姿は第1話に続いて2回目
これは第5話
フュージョンなので、ご勘弁を
by スヒョン@リュジン

1937年が舞台の『京城スキャンダル』で、禁止されているはずの「ヴ・ナロード」のスローガンが大っぴらに壁に貼られていて、朝鮮総督府のスヒョンもガングも「何も言わない」のは、ちょっと変?
そこは、「フュージョン」ですから、ご勘弁を…。


実は、植民地下での朝鮮半島のハングルでの識字運動が「ヴ・ナロード」と言っていたのは今回初めて知りました!(韓国の方には常識なんでしょうか?)

また、その後、1960年代から80年代の韓国でも軍事政権下で、民主化を志す学生が農村に入り、農民と交流しながら教育・啓蒙活動をする、「ヴ・ナロード運動」が盛んだったそうです。(映画『夏物語』もこのシチュエーションが舞台)そういえば、1980年代半ばに大学生だった韓国人の知人も、夏休みは農村に「オルグに行った」と話していたのを思い出しました。

でも、torakoには「ヴ・ナロード」という言葉は別の意味で聞き覚えがあったんです…それは…。私の出身地にもゆかりの深い彼の人…。そのことについては、次回また…。

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この記事に対するコメント

諧和堂書店の夜学

torakoさんは、ああいう世界が好きというか憧れがあるのでは?
ヴ・ナロードというと、ナロードニキ運動に決定的な影響を与えたチェルヌイシェフスキーの「なにをなすべきか?」ですが、個人的にはドブロリューボフの「オブローモフ主義とは何か」が、好きですね。啄木の「はてしなき議論の後」も、はてしなく議論するオブローモフのことでしょうか。
写真は、夜学での「希望歌」の合唱場面ですね。torakoさんにとりあげて欲しかったのは、ソンジュが諧和堂を訪ね、「白鯨」を手にとって、ヨギョンに謎かけのように問いかけて、自分の正体を明かすと同時に主体的な決断を促すという場面です。洒落ていてなおかつ緊張感に満ちた一瞬。
ところで「白鯨」と「Moby Dick」が並んでいて、へえと思ったのですが、「白鯨」のコリア語への初訳はいつごろだったのでしょうか?またキッチュな好奇心。

  • 投稿者: ポクギ
  • 2007/12/20(木) 01:55:44
  • [編集]

真っ赤な「白鯨」

ポクギさん、こんにちは!
ハハハ…やっぱりそう見えますか?
あの「時代」、あの「場所」での民衆運動や諧和堂夜学のような世界に対して、金時鐘氏に一喝されそうな「センチメンタリズム」を感じているのかも知れませんね。
そこは、「傾倒ブログ」なのでご容赦を…(いつもの言い訳ですみません)

ポクギさんはソンジュの「白鯨」のシーンがお気に入りなんですか。ソンジュが手にしている本が「ペクギョン=白鯨」だなぁ…とは思っていたんですが、「Moby Dick」も並んでいたんですか?気づきませんでした…。白鯨を暗喩にした会話も確かにウィットに富んでいて、ソンジュのファッションも最期の「白」と対称的な目に鮮やかな「真っ赤」なワン・ショルダー。印象的な場面ですね。(また、創作?意欲が湧いてきました~)
「白鯨」が戦前に邦訳されたことがあるのか、確認できないんですが、原書から直接、韓国語に翻訳されたケースがこの時代にあるのであれば、1937年の諧和堂書店の書棚に「ペクギョン」があってもおかしくないのかな?

夜学生徒の「希望歌」合唱シーンの写真を入れたのは、このシーンが本放送でカットされてしまったからです。『京城スキャンダル』がリュジン氏の言うように「希望のドラマ」であるならば、ソンジュの「希望」は他の3人が受け取ったんだろうけれど、8年後の解放やその後の苦難の時代を生き抜く「希望」は、子どもたちにこそ引き継がれる、というメッセージを感じてもいいのかな…なんて、色々妄想していました。

私のまわりには、旧世代の「オブローモフ」がたくさん生息していますが、今はバーチャルの時代ですから、「はてしなき議論」の後、皆でココアを啜ることもできませんね。
では、また…。

  • 投稿者: torako
  • 2007/12/20(木) 19:54:26
  • [編集]

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